いつも通っている白川にある病院で検査結果を受け取ったその夜、奇妙な夢を見た。
見知らぬ縁側に、知らない男の人と座っている。知らない人だけれども、その顔はよくよく見知ったもので、つまりその人は俺と瓜二つなのだ。しかし雰囲気はだいぶん違っていて、自分も大概だがそれより更に長い、顔の片側を隠すような前髪に、後ろ髪、そしておかしいのは時代劇だか何かの衣装のような格好をしている。腰にはちゃあんと、ものものしい刀を大小二本差してもいる。何の夢占いか。と思いながら周囲を眺める。自分の今住んでいる家の庭よりさらに広い庭は、向こうの方まで延々と続いており、塀のようなものは見当たらない。時間帯もよくわからない。 手前から奥全てにピントの合った解像度の無駄に高い写真のような白っぽい光の中、正面の茂みの、濃い葉色の中星をちりばめたように咲く、やたらと大きいくせにひょろりとしたかっこうの白い花を見ていると、その人はおもむろに口を開いて自分と全く同じ声で言うのだ。
「時代を違えて平和な世に産まれれば、今度は病を得るなど。因果なものだな。」
ああ、自分の病気のことを言っているのかな、と何と無く考える。今度の検査は大掛かりだったし、結果もそれなりに待たされて、その内容も予想どおりという諦め半分、(仕方がないとはいえこれだけ)待たされてどうせこの結果、という腹立ち半分で、やるせない気持ちで眠りについた覚えがあるから、こういう夢も、さもありなんだな。そう思った。
「…玄武の呪詛がなければ俺とて元の寿命は長いものと思いもしたものだが。…刀も、四神の札も、立場もない時代でもそうであるなら、やはり、俺の所為やもしれないし、お前には申し訳が立たないな。そうか。病か…」
ゲンブの呪詛、が何かはよくわからなかったが、どうやら短命な人らしい。しかし人となりどころか名前すら知らないのに、寿命の話をきくというのも、いかにも突飛な事が自然に何の違和感もなく成立する夢らしい。
「そちらのあれは元気か?」
どれだろう、と当てもない記憶をぼんやりさせていると、その人はおもむろに写真を取り出した。古写真ではない。それは、普段自分の書物卓の腹の引き出しに入れてるはずの、今年の春に、ゼミの助教授に誘われて行った美作への調査旅行で撮った集合写真だった。その人はその写真を受け取るよう目くばせしながら差し出した。写真には、早春らしい抜けた白い光の中で、いやに若く見える助教授と、現役のゼミ生たち、そして本来そこにはいないはずの諸事情で大学を退いている自分がのんきな様子で写っている。どう頭をひねて見てみても、彼の言う「あいつ」はわからなかった。そんな自分を彼はしばらく伺った後、フ、と鼻息をついて自分の持っている写真の中、意外な人物を指差した。それはいかにも若々しいゼミ生たちの中、一人頭一つ飛び抜けて大きい上、明るい金髪でやけに目立っている。イギリスからの留学生で、今現在で唯一付き合いのある学部生のサトウだった。サトウを知っている人なのだろうか。当然そんなわけはもちろんないのだが、夢の中なので、思考回路もむちゃくちゃだ。
「こちらのあれは、ひどい跳ね返りだった。口八丁手八丁の手管ばかり上手くてな。顔は、あの通り、取り分けなのだが。そちらは、どうだ。」
前髪と、まったく同じ顔立ちなのに違う使われ方の表情筋でわからなかったが、この顔は笑っているのだとふと気がついた。笑ったときに眉間に皺がよるのだ。その人は焦れたのか、返答に困っている俺の手から写真を取り返して眺めだした。時代劇から出て来たような風体の人が、ゼミ室のカラープリンタで出力された、固くつるつるとした専用紙のカラー写真を眺めているのは、妙にシュールでおかしい。最近BSで流行っている、そういう設定のドラマみたいだ、と思った。
「顔かたちは同じだな、さすがに。…春か、これは」
「はい」
「そう、春の陽の下だと、なおさら目も文で…そう、こんなふうに金の髪が光に透けて…きれいなものだった」
写真の中のサトウは、リブ編みの黒いタートルネックの上に灰色の厚手のパーカーを羽織って、これまた黒い色のグレゴリーのバックパックを背負って立っている。ズボンも黒い綿のズボンだから、春の色鮮やかな色彩の中モノトーンの服装は浮いて見えた。ただ、 全体に色味がない分、首に巻いた薄紫のスヌードと、発光しているかのような明るい金髪は、光を受けてきれいに目立って見えた。
「…黒い服も、案外よく似合うものだな。 黒い服を着ているところなぞ、ついぞ見た事がなかったが。」
またも笑っているようだった。にしてもこの人、いくつくらいなのだろうか。顔はそっくりだし特別年をとっているふうにも見えないのだが、かといって同い年の雰囲気とは到底考えられなかった。刀を持っているんだから侍なのだろうし、昔は十四、五で元服することを思えば、今よりも精神が成熟するのも早かったんだろう。とぼんやり考える。どっしりとした居住まいではあるが、実際の嵩がそれだけ大きいわけではない。パッとみたところ厚着しているようだし、それを差し引けば決して大きな体格ではないと思う。足の位置や視線から察するに身長も顔と同様、同じなようだ。親しみやすさとは無縁だ。とっつきやすさはまったくない。けれど、威圧感は感じられなかった。やはり、自分とそっくりだからだろうか。
「サトウ、よく黒い服を着てます。上着なんか黒か灰色ばっかりですし。」
「…フ。そうなのか。ハハ。なるほど…と言うのか」
「そちらは、違うんですか?」
「いつも、うすいねずみ色の上っ張りと下履きだった。異国の、光ったような生地の。そうだ、これと同じような薄紫の襟巻をしていて…お前のところのサトウは、素直そうな相貌をしているな。こっちのと言えば、さっきも言ったがなにかと小うるさくてな。性格もひねていて、救いようがなかった」
素直そうな顔、と言われ、相手の持つ写真を傍目に見る。素直そうな顔?…そうだろうか。サトウは、控えめに言っても、素直で愛想があるタイプではない。外国人なのもあってか何を考えているのかわからなかったし、思っている事をあまり口に出す事もない。どんなシーンにおいても一人隅の方でプレイヤーや携帯をいじっている。話しかければいかにも人好きするように明るくフレンドリーに応えるが、寄合には参加しない。その緩急もまったくわけがわからなかったし、集団で解散する時も一人ツイといなくなるその背中になんとなしにバカにされているようにすら思えたほどだ。打ち解けて、気兼ねのない友人になった今となっては、それもまったくの錯覚だったことがわかったのだが。つまり、別になれ合いや集団を嫌がっていたのでもなんでもなく、“ただのすごいマイペースなだけ”だったのだ。それに比べて、救いようのない、とまで言われる性格など。どんなものなのだろう。ひねている、だの、酷い言われようだ。
「小うるさいのは一緒ですね。請求書はこまめに整理しろだとか、もっと食べろだとか、ナニカニは買い替えろだとか、髪を切れ、だとか。」
「髪を?…フッ。何だ、同じことを言われているのか。言うことは聞くだけ聞いて、あとは適当に流してやれ。言えば向こうも気は済むようだからな。」
なるほど、と笑って答えると、その人は例の眉間に皺をよせた笑い方で顔を少し後ろにのけぞらせたあと、にや、といった風にこっちを見て言った。口元に添えられた手が目につく。 握り肉刺のできた、しかし一方で案外にやわらかそうな肉感の手のひらが節くれだった武骨な指の隙間から窺えた。やはり同じ形をしているのに、全く違う位置にできた肉刺や節の立ち方に、使われ方が違えば同じものでもこうも違いができるのか、と妙に感心してしまった。
「あまり真に受けるな。俺の言う事は、なにぶん間違ってはいないがあまり真に受けるとさすがに愛想もつかされるぞ。」
そう言って写真を懐に戻した。俺はすっかりそれが自分の物である事も忘れて、その人が金色のパイピングのついた黒い、仕立てのいい、不思議な形の上着の内側に、それを大事にするような丁寧な手つきでしまうのを見ていた。育ちのいい人なんだな。なんとなく、そう思った。
「ただでさえ構ってやれない身の上だ。せめて、何もないならきちんと向き合って手間ひまも、言葉もかけてやれ。甘やかせとは言わんが。…俺は下手くそでな。甘やかしてしまって、その時はよかったが…後にして思えば、かわいそうなことをした。」
そう言う横顔は、とてもじゃないが自分と同じ顔だとは思えない、これまでこんな表情は映画でも見た事のない、そういう表情だった。静謐で、壮絶な何か言葉をなくすような、…なんというか、凄みのある横顔だった。それは、自分と同じ顔かたち、同じ声なのに、まったく違う人生を歩んで来たのだという無言の証明だった。 そのとき、庭の右端の方がうっすら暗くなるのが見えた。雲がかかって来たようだ。白い花の大群が音のない風に揺れる。そのとき、すっかり忘れていたがこれは夢である事を思い出し、同時にこの夢ももうじき覚める事を悟った。それは、夢の中ですら、とても残念な事に思えた。もう二度とこの人とは会えないかもしれないんだな。
「お前は、大丈夫だろう。随分頼りないが、それも世相あってのものだろうしな。お前は、俺ほど不器用でもなければ、阿呆でもない。気落ちするな、とは、言えもしないが。俺の場合は自業自得だったがお前のそれは、お前のせいではないのだ。あまり憂慮はしすぎるなよ。気がかりにしすぎればない事もあろうからな。自愛しろ。」
はい、という返事が、彼に届いたか否か。それくらいの突然さで、急速に夢が遠ざかるのを感じたと思ったら次の瞬間には自分の部屋の布団の中で目を開けていた。夢の中の映像がやけに高解像度だったこと、今自分が住んでいるのと同じような日本家屋だったこと、そして夢から目覚めへの切り替わりが早すぎたせいで、夢の中と地続きになっているような妙な感覚がある。枕元の目覚ましを手に取った。時計は昼前を指している。すっかり寝過ごしてしまった…と思う反面、机の上に乱雑に置いた病院の封筒を見て、これくらいは今ならしょうがない。と自分で勝手に納得をする。起き上がって、寝間着のままふらふらと台所に向かうと、一人暮らしの家であるのになぜか人の気配があった。わけもわからないままそっと顔を覗かせると、そこには夢の中でさんざん話題に上がっていた人間が、台所のテーブルで自分の家のようにしてコーヒーを飲みながら書き物をしていた。
「返事がなかったから、郵便受けの鍵で勝手に上がらせてもらいました。今日来るって連絡したの、私の思い違いでしたか?」
「…すっかり、忘れていた。」
「でしょうね。大方そんなことだろうと思って、部屋を覗いたら変に神妙そうな顔で寝ていたので起こさなかったんですよ。優しいですよね
「…部屋に?」
「隙間開けて、あなたの顔見ただけです。何です?今更寝顔見られるくらいかまやしないでしょう、女の子じゃないんだし。寝顔なんかよりもっと気にすべきこと、あると思いますけどね。寝間着で玄関に出るとか。」
自分の部屋の廊下側からの入り口にある襖は、机の真反対側だ。入り口から覗いただけであるなら、机の上のものはたとえ見えはしても何かまではわからなかっただろう。着替えてくる、と言って部屋へ戻ると、真っ先に机へ向かい、机の上の書類を元の封筒にしまって腹の引き出しの一番底に入れた。そういえば、あの写真はどうしただろう。大量の、手紙や通知の書類、封筒の束をがさがさとやりながら、あの人持って行ってしまったが…とそこまで考えて、持って行ったもなにも、夢の話じゃないか。と気がついた。我ながら馬鹿馬鹿しくなって、そしてその後に誰も見ていないながら恥ずかしさがやってきて、探すのを取りやめる。長押にハンガーでかけてあった白の綿のシャツと、畳んであったジーンズをはく。戻ると、さっきまで本と書き物の広げてあった机は片され、一方先ほどまで何も置かれていなかったコンロの上には鍋が一つ、火にかけられていた。当の本人は勝手知ったると言った様子でなにやら青ネギを刻んでいる。
「お昼ご飯ですけど、うどんでいいですか?まあそれ以外ないんですけど」
「ああ。…そういえば、肉が残ってたか。肉うどんにするか」
「揚げ持ってきたんですけどね。別に肉も入れたらいいか。」
「きつね肉うどんだな」
そういうと、サトウは「それ絶対違いますよ」と言って笑った。そうこうしているうちに肉と揚げとしいたけ、おぼろ昆布に卵が入っている妙に具の多いうどんが二杯と、漬物、菜の花の煮びたしが机の上に並んでいた。二人してずぞぞ、とうどんをすすりながら休日の昼の時代劇を見ていると、ふと夢のことを思い出した。
「今日、夢に侍が出てきた。」
「侍?」
「今の世の中は平和だって」
「……そりゃあ、侍の時代は大変でしょうもんね。高杉さんのご先祖様だったりして。平和な世でボンヤリ生きて、って喝を入れに来たんじゃないですか?」
「さあな。どっちかというと、お前の話ばっかりしていた」
そう言うと、サトウの持ち上げていた麺がツルル、と箸から落ちる。はねた汁が着ている水色のダンガリーシャツに染みていないかを慌てて確認すると、すぐに顔を上げてこっちをまじまじと見る。少し首を傾げ、しゃくるように顔を前に出して。
「私の話?」
「黒い服も、似合うとさ」
「も?」
「ふふふ」
それ以上は、うどんがのびるぞ、と言ったきりうんともすんとも返事をしてやらなかった。しばらくは何やかにやと質問を投げかけて来たけれど、それも無駄だと悟ったか、サトウはしきりに首を傾げながらもうどんをすする。顔と頭には、大きなはてなマークを浮かべているのが見えるようだった。それをたまに器から目線を上げて盗み見てはひっそり笑っていると、あまり憂慮はしすぎるなよ、という夢の中の言葉を思い出した。ご心配をおかけしました。目覚めてみると、どうも気にならなくなりました。と口に出さずに思った。誰にも言えやしないけど、一人じゃないので、平気です。と。
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現代に生まれた高杉さんとサトウちゃんと、幕末の高杉さん